コラム:粘着する米インフレが円安後押し、日本の物価上昇が防波堤に=内田稔氏

コラム:粘着する米インフレが円安後押し、日本の物価上昇が防波堤に=内田稔氏
 米国の債務上限問題の見通しが明るくなり、ドル/円続伸を見込む声も強まってきた。そこで、ドルと円の現状を定点観測し、ドル/円相場を展望する。内田稔氏のコラム。写真は円紙幣のイメージ。2017年6月撮影(2023年 ロイター/Thomas White)
内田稔 高千穂大准教授
[30日 ロイター] - ドル/円相場が、約半年ぶりに140円の大台を回復した。5月の主要10通貨の動きをみると、ドルが全面高だった一方、円はノルウェークローネ、スウェーデンクローナを除く全ての通貨に対して下落しており、大台回復はドル高と円安双方による結果とわかる。米国の債務上限問題の見通しが明るくなり、ドル/円続伸を見込む声も強まってきた。そこで、ドルと円の現状を定点観測し、ドル/円相場を展望する。
<ドル高の背後に米インフレの粘着性>
ドル高の主因は、6月利上げ観測の再浮上にある。5月の米連邦公開市場委員会(FOMC)の後、一時消滅した6月利上げの織り込みが上昇し、足元では6割を超えてきた。依然として市場は年内利下げを期待しているが、金利先物市場が織り込む利下げ幅も縮小。
これらと歩調を合わせて米国債利回りが上昇し、5月初めと比べて上昇幅は2年物で約58bp、10年物で約34bpに及ぶ。これには、債務上限問題を受けた債券売りも影響したとみられるが、為替市場では素直にドル高に作用した格好だ。
米国経済を巡っては、4月の個人消費支出価格(PCE)指数の伸びが前年比でも前月比でも総合、コアともに3月から拡大。改めてインフレのしつこさが警戒されており、その一因に53年ぶりの低さを保つ失業率が挙げられる。
週次で景況感を示すニューヨーク地区連銀公表のWeekly Economic Indicatorの低下にも足元で歯止めがかかってきた。堅調さがうかがえる米国の株式相場もインフレ封じを目指す米連邦準備理事会(FRB)にとっては頭痛の種だろう。6月のFOMCで利上げが決定されても不思議ではなく、こうした見方がドルを支えよう。
<景気後退はドル安材料なのか>
一方、米国経済がリセッションに陥る場合も、ドル安は進みにくいだろう。なぜなら、それはどの国でも起こり得るからだ。
例えば、景気後退の予兆とされる長短金利差(10年物国債利回りと2年物の差)の逆転が起きていないのは、今やG10通貨中、日本とオーストラリアだけだ。実際、ドイツは早くも2四半期続けてマイナス成長を記録し、ユーロの上値を重くしている。
政策金利水準に着目しても、米国の利下げ余地がニュージーランドに次いで広く、米国経済の立ち直りも早そうだ。為替相場が相対比較で決まる以上、米国の景気減速や後退を理由とするドル安は起こりにくいのではないか。
<不発だったリスク回避の円買い>
次に、円に関しては、改めてその脆弱さが露呈したと言える。相次ぐ米銀の経営破綻を受けて、ドル/円も3月には138円台目前から130円割れまで急落したが、そこから反発。投機筋の円買いが振るわず、貿易赤字に伴う実需の円売りがドル/円を押し返したとみられる。
近年みられなかったほどに金利差が広がったままでは、金利の逆ザヤをもたらす円ロングの維持も容易ではない。金利差が顕著に縮小しない限り、リスク回避の円買いによる円高インパクトは限られよう。
加えて、日本の債券市場で観測される期待インフレ、ブレークイーブン・インフレ率(10年物)も約1年ぶりに1%の大台まで上昇してきた。この結果、名目金利(長期金利)からブレークイーブン・インフレ率を差し引いた実質金利が約半年ぶりの低水準となって、ドル/円上昇を支えたとみられる。これら円の脆弱さに先のドルの状況を加味すると、ドル/円の一段高も見込まれる。
<米金融政策、行方は不透明>
もっとも、実際の米国の金融政策の行方は不透明だ。パウエル議長が「データ次第」と繰り返している通り、FRBも物価見通しに自信を持てていない。これは今後の金融政策のかじ取りが大きくブレる可能性を強く示唆している。このため、仮に6月に利上げが決定された場合も、昨年10月にかけてみられたような強力なドル高期待は高まりにくいと考えられる。
さらに、昨年のドル急騰局面との相違点に原油価格も挙げられる。石油輸出国機構(OPEC)と主要産油国でつくるOPECプラスによる突然の減産決定を受け、4月に騰勢を強めた米WTI先物相場も、足元では70ドル台で落ち着いている。原油の輸出大国となった米国にとって、原油相場の上昇は交易条件の改善を通じたドル高要因だが、その影響も限られそうだ。
主要通貨の中ではニュージーランドドルに次いで長期金利が高いドルだが、ここからの上昇ペースは緩慢なものとなりそうだ。
<変わった植田総裁のインフレへのトーン>
日銀を巡っては、イールドカーブコントロール(YCC)の修正時期が迫っているとみておいた方がいい。日本の4月消費者物価指数(CPI)の伸び(前年比)をみると、総合、コア(生鮮食品を除く総合)、コア・コア(生鮮食品及びエネルギーを除く総合)のいずれも前月を上回った。
日銀が基調的なインフレ率を捕捉する際に参照するCPIの刈り込み平均値、加重中央値、最頻値もそろって前年比の伸びが拡大。東京都区部の5月中旬速報値によると、前月比でみた物価は下落に転じたが、それでも輸入インフレは広く浸透しつつある。
実質賃金の前年割れも解消していない中、インフレを助長する円安進行も政策修正のきっかけとなり得よう。こうした点が市場で意識されるにつれ、昨年のようなフリーフォールの円安は起こりにくいだろう。
実際、植田和男総裁のトーンにも変化がみられる。5月25日、国内メディアとのインタビューの中で総裁は「資源高に起因する物価高でも、賃金上昇やインフレ(物価上昇)期待があれば、政策変更になる」と語ったと報じられている。「輸入インフレには直ちには反応しない」と明言した2月の所信聴取と異なり、条件次第では輸入インフレにも対応する方針を示唆した内容だ。
先述した期待インフレの上昇は、裏を返せば中銀のインフレ対応への信認低下の表れでもあり、こうした状況に危機感を強めた日銀が長期金利目標の上限金利の引き上げにいつ動いても不思議ではない。
<ドル/円、リスクは引き続き上か>
以上を踏まえて、向こう2カ月程度のドル/円を展望しておく。
まず、ドル/円の水準を確認しておこう。コクラン・オーカット法を用いて、日銀がYCCを調整した昨年12月20日以降の日米長期金利差からドル/円を推計すると、概ね136円台が得られる。両者の関係はそれほど安定しておらず、広い誤差を見込むにせよ、米国の長期金利が4%台を超えない限り、140円台からの上振れ余地は限られそうだ。
一方、円の弱さを考慮すれば、ドル/円の下値も限定的と言え、130円台の前半では値ごろ感に支えられそうだ。金利差が10bps変化すると50─60銭の影響を受ける。YCCの修正により、仮に日本の長期金利が30bps上昇したと仮定するとドル/円も2円程度、急落する計算だが、サプライズ感が強いほど、実際の振れ幅はもう少し大きくなるだろう。
もっとも、日銀がその後も正常化プロセスを進めていくとは考えにくい。円高材料の出尽くし感が意識され、すぐに円は反落する可能性が高い。加えて、累計5%の利上げにもかかわらず、これまで底堅さを維持する米国経済、特にインフレの粘着性に照らせば、6月のFOMCでタカ派姿勢が示される可能性も低くない。その際、米ドル金利が上振れするとみられ、ドル/円のリスクは引き続き上向き(ドル高・円安方向)ではないか。
編集:田巻一彦
(本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています)
*内田稔氏は、高千穂大学商学部准教授、ALCOLAB外国為替アナリスト。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)入行。マーケット業務を歴任し、2012年から2022年まで外国為替のチーフアナリスト。22年4月から現職。J-money誌の東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、証券アナリストジャーナル編集委員、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、経済学修士(京都産業大学)。
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